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元巨人、西武の三浦貴さん死去 大腸がんのため45歳の若さで… 引退後は母校・浦和学院で指導(スポニチ) - 毎日新聞

2001年4月、ヤクルト戦で力投を見せる三浦貴さん 拡大
2001年4月、ヤクルト戦で力投を見せる三浦貴さん
2005年3月、オープン戦で適時打を放つ三浦貴さん 拡大
2005年3月、オープン戦で適時打を放つ三浦貴さん
<巨人新入団選手発表>長嶋茂雄監督(前列中央)を囲んでガッツポーズする巨人新入団8選手の(前列右から時計周りに)ドラフト1位の阿部慎之助捕手(中大)、同2位の上野裕平投手(立大)、同4位の根市寛貴投手(光星学院)、同6位の山下浩宣内野手(九共大八幡西)、同8位の李景一捕手(敦賀気比)、同7位の小野剛投手(武蔵大)、同5位の川本大輔投手(広陵)、同3位の三浦貴投手(東洋大)=2000年12月撮影 拡大
<巨人新入団選手発表>長嶋茂雄監督(前列中央)を囲んでガッツポーズする巨人新入団8選手の(前列右から時計周りに)ドラフト1位の阿部慎之助捕手(中大)、同2位の上野裕平投手(立大)、同4位の根市寛貴投手(光星学院)、同6位の山下浩宣内野手(九共大八幡西)、同8位の李景一捕手(敦賀気比)、同7位の小野剛投手(武蔵大)、同5位の川本大輔投手(広陵)、同3位の三浦貴投手(東洋大)=2000年12月撮影

 巨人、西武でプレーし、引退後は浦和学院(埼玉)で指導者を務めていた三浦貴(みうら・たか)さんが24日、亡くなったことが分かった。45歳だった。

 三浦さんは、昨年3月に大腸がんが見つかり、治療に専念。順調に回復し今年の春先に現場に復帰したが、6月から再び体調を崩していたという。浦和学院時代の監督だった森士(おさむ)氏は「教え子たちと亡くなる前日に会いに行った。意識はもうろうとしていたが、しっかりと話すことができた。強靱な体力で現場に一度は復帰したが、若かった分、進行が早くなってしまったのかもしれない」と早すぎる別れに、驚きを隠せなかった。

 埼玉県出身の三浦さんは96年、浦和学院3年時に春夏連続で甲子園大会に出場。選抜大会では1回戦の東海大仰星(現東海大大阪仰星)戦で10安打を浴びながらも、粘り強い投球で完封勝利を挙げた。東洋大に進み、1年春からリーグ戦に登板。4年時には主将を務め、00年秋季リーグでは7勝2敗で最高殊勲選手、ベストナインなど各賞を受賞。同年ドラフト3位で巨人に指名され、入団した。

 プロでは1年目からリリーフとして1軍で活躍。ルーキーイヤーは49試合の登板で3勝2敗、防御率3・41と安定感ある結果を残した。しかし翌02年、与えた死球をきっかけに不調に陥り、2年目は3試合の登板に終わった。03年からは原監督のすすめもあり、野手に転向。同年9月15日の中日戦(ナゴヤD)で転向後初打席でプロ初本塁打を放った。08年から西武に移籍し、09年限りで現役を引退。投手としては52試合に登板し、3勝2敗、防御率3・56。打撃成績は134試合で打率・193、1本塁打、5打点だった。

 引退後は恩師・森士前監督の言葉、存在に影響を受け、教員免許を取得。学生野球資格を回復した13年7月からコーチとして後輩たちの指導にあたっていた。自身が恩師から受けたのと同様に、言葉や存在で球児たちに多大な影響を与えてきただけに、惜しまれる早すぎる旅立ちとなった。

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