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大関昇進決めた琴ノ若の覚悟が決まった母真千子さんの言葉「逃げたらあなたの住むところはない」 - 大相撲 - ニッカンスポーツ

関脇琴ノ若(26=佐渡ケ嶽)が、悔し涙で事実上の大関昇進を決めた。本割は東前頭4枚目翔猿を、上手投げで破って13勝2敗。同じく2敗を守った横綱照ノ富士(32=伊勢ケ浜)との優勝決定戦は、寄り切りで敗れて初優勝は逃した。それでも、ともに関脇の先々場所9勝、先場所11勝と合わせ、大関昇進目安の三役で3場所33勝に到達。日本相撲協会審判部は、31日の臨時理事会招集を要請し、了承された。臨時理事会で昇進を見送られた前例はなく、事実上「大関琴ノ若」が内定した。

   ◇  ◇  ◇   

相撲一家に生まれたからこそ、難しい選択を迫られる機会も多かった。小学6年時。琴ノ若は、埼玉栄中に進学したいと両親に伝えた。すると、厳しく迫ってきたのは母真千子さんだった。「逃げて帰ってくるようなことは、絶対にしちゃダメだからね。逃げたら、あなたの住むところはないと思いなさい」。佐渡ケ嶽部屋は、64年九州場所から幕内力士が在籍し続けている名門。その1人息子が、いくら強豪相撲部とはいえ逃げ帰ってくれば、名門の名折れとなるだけに、その覚悟を問われたのだった。

ただ、琴ノ若の覚悟は決まっていた。そもそも、佐渡ケ嶽親方が埼玉栄中、高にスカウトに訪れたのが縁の始まり。山田道紀監督から逆に「息子さんいらっしゃいますよね?」と返された。当時小学5年だった琴ノ若は、初対面で山田監督の人柄に心酔。「どうしても栄で相撲をやりたい」と両親に訴えた。佐渡ケ嶽親方は「逃げ道をつくると、あきらめてしまう。おかみは心を鬼にして、本人のために言っていた」と当時を振り返る。琴ノ若は埼玉栄高3年時に主将となり、全国高校総体団体優勝へ導いた。孝行息子は常に、両親の心配を杞憂(きゆう)に終えていた。【高田文太】

◆琴ノ若アラカルト

琴ノ若傑太(ことのわか・まさひろ)

◆生まれ 1997年(平9)11月19日、千葉・松戸市生まれ。本名・鎌谷将且(かまたに・まさかつ)。

◆家族 祖父は元横綱琴桜の先代佐渡ケ嶽親方(故人)。父は元関脇琴ノ若、現在の佐渡ケ嶽親方で琴桜の弟子。母は琴桜の長女真千子さん。兄弟はいない。

◆アマチュア相撲歴 2歳から始める。「まわしを締めたいと自分から言ってきた」(佐渡ケ嶽親方)。小学校は千葉・柏市の柏相撲少年団に所属。その後、埼玉栄中、高に進学。高校3年時は主将を務め、全国高校総体では団体優勝。

◆大相撲 15年九州場所で初土俵。番付デビューの18年初場所で序ノ口優勝。19年名古屋場所新十両、20年春場所新入幕。23年初場所で新三役の小結に昇進。同年秋場所で新関脇。三賞は先場所まで敢闘賞5回。

◆しこ名 初土俵は「琴鎌谷」。新十両昇進を機に父の名を継ぎ「琴ノ若」に改名。今後は祖父の「琴桜」への改名も検討。下の名は祖父のしこ名「傑将(まさかつ)」から1字もらった。

◆サイズ 生まれた時は3450グラム。身長は一般的な子よりも約10センチ大きい55センチ。現在は189センチ、177キロ。体重は先場所より7キロ増も「動きは同じ」。

◆朝ドラ好き NHK朝の連続テレビ小説を好んで視聴。最近は本場所、巡業と多忙で「録画がたまる一方」で視聴が追いつかず。

◆足のサイズ 足の面積では28~29センチも「厚みで入らない」ため31センチ。「基本的に靴は履かない。小学校から雪駄(せった)」。

◆視力 裸眼で0・3、矯正で1・2。かつては裸眼で稽古&取組。それ以外はメガネだったが、コロナ禍からほとんどコンタクトレンズ着用。「本場所は1日1番だから外れたことはない。稽古中に一方が外れたら、もう一方も外す」。

◆得意 右四つ、寄り、押し。

◆血液型 AB。

【大相撲初場所全取組結果】はこちら>>

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