
サッカーワールドカップのカタール大会は、アルゼンチンが36年ぶりとなる優勝を決めました。
一方、フランスの準優勝に大きく貢献し、決勝でも獅子奮迅の活躍を見せたのは、フランスの「10番」、キリアン・エムバペ選手です。
12月20日に24歳になったばかりの若きエースを形づくってきたものは何なのか、エムバペ選手の地元であるパリ近郊ボンディを取材しました。
(ヨーロッパ総局記者・田村銀河)
サッカー界の「神童」と呼ばれて

エムバペ選手は16歳のときにフランス一部リーグ・モナコでプロデビュー。当時のクラブの最年少記録を塗り替えました。
そして、19歳で迎えた前回のワールドカップではフランス代表の「10番」をつけて出場し、決勝でも得点を決めてチームを20年ぶりの優勝に導きました。
2022年10月にアメリカの経済誌「フォーブス」が発表した、世界のサッカー選手の長者番付では、メッシ選手やポルトガルのロナウド選手を抑えて1位に。
今回のワールドカップでも決勝のハットトリックを含めた8ゴールを決め、得点王となりました。

「夢を愛そう。そうすれば」
エムバペ選手が生まれたのは、パリ中心部から北東におよそ10キロ離れたボンディです。カメルーン出身の父とアルジェリア系の母のもとに育ち、5歳の頃から地元のサッカーチームに入ってプレーしていたといいます。
決勝の日に取材に訪れた私たちを迎えてくれたのは、アパートに描かれた巨大な壁画でした。

フランス代表のユニフォームを着る夢を見る、少年時代のエムバペ選手の上には「夢を愛そう。そうすれば、夢も君を愛してくれる」と書かれています。

「郊外」につきまとう否定的なイメージ
なぜ「夢を持とう」とエムバペ選手が呼びかけるのか。
実はフランスでは、ボンディのような都市は“バンリュー(Banlieue=郊外)”と呼ばれ、ネガティブなイメージを持たれることが多くあります。

パリ周辺では1950年代頃から人口増加を受けて公営の住宅団地が次々と建設され、そこに旧植民地の北アフリカ諸国などからの移民が住むようになり、中心部に比べて失業率や貧困率が高い地域も多くあります。
フランスの国立統計経済研究所によりますと、ボンディもフランス全土に比べ貧困率が2倍以上になっていて、こうした問題を抱える地域の1つです。
夢を見ることにお金はかからない

そうした“バンリュー”の若者へ、エムバペ選手は2年前、メディアを通してメッセージを寄せていました。
(エムバペ選手のメッセージより)
「フランス、アフリカ、アジア、アラブ、世界のあらゆる地域の文化が混ざり合った素晴らしい場所で私たちは暮らしています。外の人はバンリューのことをいつも否定的に言うけれど、そこの出身者でなければ、どんなところか理解できないでしょう」

「子どもたちへ。私たちがフランスです。君たちこそがフランスです。私たちは、クレイジーな夢想家です。そして、幸いなことに、夢を見ることにはお金がかからないのです。たとえ誰かに逆のことを言われたとしても、決してそれを忘れてはいけません。
ボンディのキリアンより」
ボンディでエムバペ選手は、子どもたちの憧れとなっていました。

地元の子どもたち
「キリアン(エムバペ選手)は僕たちと同じ学校で、僕たちにとっては家族のような存在です」
「サッカーではもう伝説の選手だし、みんなのあこがれです」

地元のレストランで働く女性
「エムバペ選手はボンディから世界のトッププレイヤーになった例であり、みんなのお兄さんとして、希望を与える存在です」
夢で終わらせないために
決勝の当日、ボンディの体育館では、パブリック・ビューイングが行われました。多くの子どもたちを含む100人ほどが集まり、エムバペ選手が得点を決めるたびに熱狂的な歓声が上がりました。
実は、フランスサッカー界で、“バンリュー”出身の英雄はエムバペ選手が初めてではありません。
1998年のフランス大会で「10番」をつけてチームを率い、初めての優勝に導いたあのジダン選手。

両親は北アフリカのアルジェリア出身で南部マルセイユの郊外出身だったことから、「移民の星」として多くの若者に夢を与えました。
ジダン選手のワールドカップでの活躍から20年以上がたちましたが、いまだに“バンリュー”に対する社会の偏見は根強く残っています。
「エムバペ・ドリーム」がフランス社会のいっときの夢で終わることのないよう、願うばかりです。
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