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89歳、いまだ現役。和の鉄人「道場六三郎」に料理の神髄を聞く(GetNavi web) - Yahoo!ニュース

「料理の腕だけでは一流の料理人になれない」と道場六三郎さんは語る。現在、89歳になる“和の鉄人”は日本料理の世界に革命を起こし、『料理の鉄人』では斬新な発想で視聴者を釘付けにしてきた。紆余曲折の末にたどり着いた独特の料理哲学とは…?

──伝説の番組『料理の鉄人』が始まったのは、今から23年前になります。最近はどのような活動をされているんですか?

道場 このごろはあまりお店のほうに顔を出しているわけでもないんですよ。いつも僕がお店で偉そうにしていたら、料理長をはじめとした現場のスタッフも委縮しちゃうでしょうし。だけど、どうしても僕がいないとマズい場面もあるんです。たとえば明日なんて団体のお客さん80人が来るんですけど、僕目当てでわざわざ地方から来てくれるのに、そこに僕がいないというのもね……。あとは1か月ごとにお店のメニューを変えているんだけど、さすがにこれだけは自分で決めなきゃダメ。正直、家にいてもやることなんてさほどないんです。すぐ寝たくなるから、なるべく出歩くようにしていますけど。

魚屋の手伝いから料理の道へ

──今回は道場さんの半生を中心にお伺いできればと思います。まず、どんな子どもでした?

道場 僕が小学校の時分に支那事変(日中戦争)が起こったんです。そして14歳のとき、大東亜戦争(太平洋戦争)が終わった。それが昭和20年ですね。だから少年時代は常に戦争と背中合わせでした。うちの実家は漆職人だったんだけど、とにかくみんな食うのに必死な時代でしたよ。サツマイモやカボチャを、漆のお碗と物々交換していましたから。住んでいたのは石川県の山中温泉です。19歳で東京に出るまでは、ずっとそこにいました。

──最初に自分で作った料理のことは覚えていますか?

道場 どうだろうな……。小さいころは母が炊いたお米の匂いがすごく好きでしたね。「いい匂いだなぁ」と子ども心にワクワクしていたことを覚えています。あと、うちは父が料理をする人だったんですよね。『家の光』という農協系の家庭雑誌が家に送られてきたんですけど、それを見ながらいろいろ試していました。当時は「男子、厨房に立つべからず」なんていう考えがまだ残っていたから、珍しかったのかもしれないな。

ナマコを綺麗に洗って酢で和えたり、イワシをぬか漬けにしたり……。弁当のおかずも、イワシを焼いたものが1匹入っているということが多かった。北陸の海で獲れる季節のものを料理にしていましたね。あとは味噌も自分の家で作っていました。そういった親の手伝いが、自分で料理を始める出発点なのかもしれません。

──調理人になったきっかけは?

道場 もともと僕は漆の仕事が大嫌いだったんですよね。というのも、漆というのはじっとしていないとダメなんですよ。ドタバタしていると埃が立ちますから。ところが僕は元来落ち着きがないものだから、話にならないわけです。そんなとき、魚屋をやっていた知り合いの親父さんが病気で倒れてしまった。それで僕に声がかかったんです。「頼む。助けてくれ!」と。

当時の山中温泉では、何かおめでたいことがあると鯛の刺身を出していたんですね。あるいは鯛の姿焼きを折詰にした。旅館はお客さんに出す料理を魚屋から下ろすわけだけど、その中で魚屋も調理を手伝わなくてはいけなくなってくる。そこで初めて本格的に包丁を握るようになりました。もともと手先は器用なほうだったし、料理することは楽しかったですよ。鯛ができるようになると、今度はヒラメやスズキを下すようになりました。

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March 04, 2020 at 04:11AM
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