サッカーの西ドイツ(当時)代表の選手、監督としてワールドカップ(W杯)を制するなど「皇帝」と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーさんの死去を受け、日本人で初めてドイツ1部でプレーした奥寺康彦氏(71)=横浜FCシニアアドバイザー=が9日、取材に応じて「素晴らしい選手、監督だった」と寂しがった。
訃報はこの日の朝のニュースで知ったといい「(最近)どうしているのかなと思っていた。一つの時代が終わったわけじゃないのだけれど、本当にすごく素晴らしい選手、監督だった」と故人をしのんだ。
奥寺氏が覚えているのは、1966年のW杯イングランド大会や70年メキシコ大会で若くしてプレーした姿。「肩を脱臼しながら淡々と、ひょうひょうと自分のプレーをしていた。これは本当に驚きだった」と回想。そして優勝した74年西ドイツ大会は「後ろから指示もできるし、ゲームも作れるし、試合の中での監督という役割をしていた」とまさに「皇帝」としてのプレーぶりだったと振り返った。
守備が攻撃にも参加するという、当時のサッカーでは考えられなかった「リベロ」を生み出した。奥寺氏は「これが新しいサッカーになった」と指摘。「昔はディフェンスの選手がかっちり下がっていて、縦の動きをするのは少なかった。ある部分では僕もすごく勉強になった」と指摘した。
自身がブレーメン時代には対戦も経験。NYコスモスからハンブルガーSVに戻ったあとで、全盛期は過ぎていたが「存在感があった。ゲームコントロールする力が違った」という。「今思えば(対戦できた)2年間は記念になりますね」と懐かしそうに振り返った。
ベッケンバウアー氏はその後、監督としても90年イタリア大会でW杯を制した。ベッケンバウアー氏のチーム作りについて「どこからでも攻められる。当然守りは強いし、そういうバランスの取れたチームを作ってきた。いい選手がいたかもしれないけど、うまく組み合わせていた」と感じたという。
そして2006年には母国ドイツでのW杯で組織委員長を務め、大会を成功に導き、サッカー界の第一線からは退いた。「十分やり尽くしたという気持ちがあるんじゃないですか。あとはお前たちやれよって。それは彼のメッセージだったのかなと思います」と偉大なサッカー人との別れを語った。
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