
今回は僕のジュニア時代の話をしたいと思います。ノービス(ジュニアの下のカテゴリー)で跳んでいた3回転ジャンプはサルコウ、トーループのみでしたが、ジュニア1年目シーズン(2011~12年)に、フリップとルッツを習得しました。いまの時代からしたら遅いのかもしれませんが、当時は順調だったんじゃないかなと思います。
ジュニア時代の前半は滑りの安定感で勝負していました。成績もぼちぼち残すことができましたが、3回転-3回転の連続ジャンプやトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)、4回転ジャンプといった大技がありませんでした。
その期間は結構、苦しさもありましたね。ジュニア2年目から4年目は、ジュニアグランプリシリーズ(JGP)の派遣選手を決める選考会で補欠にも選ばれませんでした。選考会に毎年呼ばれても、JGPの派遣選手になれない。当時はその場で派遣選手の名前が発表されていたのですが、僕1人だけ名前を呼ばれずに落ちた年もありました。コーチの平池大人先生と悔しい思いをしながら帰路についたことは忘れられません。
JGPは海外のレベルの高い試合に出て日本以外の世界を知る、とても良い機会だと思います。そのチャンスがもらえず、とても悔しかった。
でも、心のどこかで…
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0 Response to "素直に笑顔に幸せに:「諦めない力」が僕を変えた 殻を破ったジュニア時代 =友野一希 - 毎日新聞 - 毎日新聞"
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